2006年06月06日

蔵當健吾 Vol.5-4

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そういった性格の舞台だからこそ、主役を演じるのは誰もが
納得する少年でないと駄目なのだ。

阿麻和利という役にふさわしい体つき、ルックスはもちろんのこと、
舞台の上での存在感、表現力、そして何より舞台を降りたあとの
仲間や周りの人への振る舞い、リーダーシップが注目される。

すべてにおいて、誰がみても

「あの子なら納得だね」

と自然に思わせる少年が「阿麻和利」になるのである。

勉強が出来る、ただそれだけでもなく。
目立つふるまいをする、というだけでもなく。
演技がうまい、ダンスがうまい、空手がエイサーが棒術がうまい、
それだけもなく。

見つめられているのは、その少年の人間性、懐の深さ、大きさ。
そして、優しさである。

平田がどこまで意図しているかはわからないが、阿麻和利役を
選ぶということは、単なる舞台の主役ではなく、勝連という地域の
リーダーを選んでいることのように私には思える。

地域の人たちからの期待、成功した舞台を引き継ぐことの責任感。
当時、たった16歳の少年が背負ったプレッシャーは図りしれない。

どれだけ沢山の時間を稽古に、心の闇に負けそうになる自分との
闘いに費やしただろう? 

人知れず重ねたであろう時間と覚悟が実を結び、健吾は
わずか1年足らずで「健吾の阿麻和利」を確立させた。

時間と覚悟が健吾を「阿麻和利」に育てていったのだろう。

いま、私の目の前にいる健吾はとても穏やかだ。

話の流れでちょっとした弱音を吐いた私に、「いいさ、いいさ」と
笑ってゆるす懐の大きさもある。

17歳の普通の少年として、ぶっちゃけ本音トークに興じる
ユーモアと心の余裕もある。

つくづく、人間の成長に年齢は関係ないと思う。
自らの使命を受け入れ、「それをするのだ」と心に決めた
ぶんだけ人は成長するのだ。

勝連城跡を背にして、心から湧き出る言葉だけを誠実に語る健吾に、
私はいにしえの王の姿を重ねていた。

ダンスをしていれば幸せだった。
舞台に立つこと、表現をすることは好きだけれど、そこまで
目立たなくていいと思っていた。
けれど、自分の意図とは関係なく、持って生まれた才覚と素質が
「阿麻和利」役を引き寄せた。

阿麻和利に選ばれた少年は、様々な葛藤を抱え、乗り越えながら、
阿麻和利になっていった。

歴史の彼方、アダン葉の影で眠る500年前の王も、
実は彼と同様の道を辿ったのではないだろうか。

病弱な体で生まれ、親に捨てられ、海人して旅をし、
勝連の浜にたどり着いた青年は、自ら王になることを望んだのではなく、
人々に望まれて王になった。

彼を動かしたのは、自分を信じてくれた人たちに応えたいという思い。
その思いが、彼を王として育てていったのではないだろうか……。

インタビューの最後に、答えをわかっていながら、健吾に
こんな質問を投げかけてみた。

─大好きなダンスができる男性アンサンブルとして、
 『阿麻和利』を卒業したいとは思わないの?─

遠く光る海を眺め、しばし熟考したあとに健吾は言った。

「阿麻和利役が自分の居場所だから。
 だから俺は、阿麻和利として卒業したいと思っている」

自らの使命を受け入れ、静かに佇む彼。
その姿は王の風格が漂っていた。

8月、健吾は勝連城跡の舞台に立つ。
アダン葉の影で眠る王は、健吾の阿麻和利をよろこんで
見守ってくれることだろう。


【取材・文・写真:高橋百合香(TAO Factory)】

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投稿者 tao-factory : 2006年06月06日 12:39